1.山下 訓弘 (八王子市立別所中学校) |
私は、現在八王子市立別所中学校に勤務しています。昨年度は、八王子市立甲ノ原中学校に勤務していました。
昨年の二00四年四月六日、町田市立南大谷中学校勤務当時である同年三月十九日に行われた同校の卒業式の国歌斉唱の時に起立しなかったことで、今回の処分を受けました。
このことについて、私の心の中にとてもいやな気持ちがわき上がってきました。何だろう、この気持ちはどこから湧いてくるのだろう。自分のやったことは、そんなに悪いことなのだろうかと悩みました。このままにして置いてはいけない、と思い、不服申請をしました。
私は自分を振り返ってみました。小学校時代、中学校時代、高校時代、君が代は小学校時代に覚えたと思いますが卒業式や入学式で歌った記憶はありません。それぞれの校歌は歌っていました。教員になって、職員会議に出て『日の丸・君が代』についての議題が必ず上がり、管理職と教員との戦いがあることを知りました。何故、ここまで管理職は『日の丸・君が代』を学校教育の中に入れていこうとするのか、教員は何故ここまで抵抗するのか不思議でした。ところが第二次世界大戦が始まる前の日本について考えると『日の丸・君が代』 ( 国家のため ) が学校教育の中で積極的に押し進められ、国民に戦争するのは当然であるという意識をたかめていった歴史がある、ということを私は知ることができました。
このような過去の歴史から考えて、私は「『日の丸・君が代』を学校教育の場に持ち込まない。」ということが日本を戦争へ導かないもっとも大切な砦であると考えています。中には、「日本には、平和憲法があるから『君が代』を歌っても『日の丸』を掲げても戦争することはないよ 。君は考えすぎだよ。」という先輩や管理職もいました。ところが、二00三年の国会で自衛隊の派兵が決定され、ついに二00四年一月には、先遣隊が銃を持ってイラクの地に立ちました。自衛隊が組織されて依頼外国の地に銃を装備して立ったのは初めてのことでした。このニュースは 、私に『考えすぎだ。』と言った人に「あなたも考えてください。」と言いたくなるようなショッキングなニュースでした。
処分を受けて、いやな気持ちになったのは、このような『身近に起こっている戦争』と結びつけ、私が守ろうとしている砦が崩されていく不安からだったのです。そこで、私の砦を守るために、戦前と同じようにならないために、また、平和憲法と言われている日本国憲法を守る教育公務員としての義務のためにも、今回の職務命令は異常であることを人事院のみなさんにお知らせしたいのです。
二00三年度、南大谷中学校の三年一組の担任でした。「今年の卒業式も子供たちの義務教育九年間の総まとめとして保護者や来賓の方々に見てもらい、よく成長したなあ、と感じてもらえるよう企画しなければならない。」と意気込んでいました。管理職も含め教員も例年通りやれると思っていました。六月十八日の職員会議で『国旗及び国歌にかかわる指導について』という通知が配布されました。この通知に関しては、いまは討議せず夏休みの研修会で話し合うということになりました。このときも、職員会議で討議して昨年並みの卒業式ができると信じていました。八月二十七日の職員会議で管理職から今年の卒業式での舞台配置図が提示されました。舞台上には、日の丸と市旗以外は飾ってはいけないということでした。管理職もいつもの管理職の口調とは違っていました。「昨年のようにはいかないようだよ。」というように管理職個人の考えではなく誰かに強く指導されているようでした。「もし昨年並みに実施したらどうなりますか。」と聞くと「わからない。」といいながら、九月以降何回か新聞の切り抜きをみんなに印刷して配布しました。その記事の内容は君が代のピアノ伴奏を拒否したことで処分された教師についての記事や君が代の演奏中に起立しなかった教師が処分されたという記事などです。これは、暗黙のうちに教員のこころをじわりじわりと締め付けながら理解させようとしていました。これこそ威嚇じゃないでしょうか。教員を脅して教育内容を変えさせようとする、こんな事があっていいのでしょうか。
極端な言い方をすれば、凶悪犯が自分の思いを遂げるために人質を取って脅し、指図をするのと同じじゃないでしょうか、と私は思いました。人の命を脅かして事をなそうとすることは、法律でも禁止しているはずです。
日本国憲法の中にも「威嚇してはならない。」という言葉を聞いたことがあります。言うことを聞かないと罰を与えるぞと怖がらせ、思い通りに人を動かそうとしている社会は正常な社会ではないはずです。このような気持ちで新聞記事を読んでいました。
その後、十一月十日の職員会議で町田市教育委員会指導室から『入学式・卒業式などにおける国旗揚揚及び国歌斉唱の実施について』の通達が配布されました。管理職からは、この通達に基づいて卒業式の原案を作成するように指示が出されました。また同じことを言ってるなと私は思っていましたが、管理職の姿勢が昨年とは違っていました。『今年の卒業式は通達通りにしなければならないんだ。』という悲壮感が漂っていました。なぜ、こんなにも強硬な姿勢で臨んでいるのだろう、と思いました。それもそのはずです、六月十一日に配布されたものは『通知』だったのがこの十一月のものは『通達』となっていたからなのです。私たち教員は、校長とは、学校現場のようすを教育委員会などに伝え、より良い学校作りのために要求してくれる大切な職と考えていました。校長次第で学校は良くなっていくと思っていました。ところが、この通達をきっかけに、校長は教育委員会の指導室に脅されているようでした。
『指導力のない管理職は処分する。』とでもいわれているようでした。学校の要望をいえる状況ではなく、校長は単なる教育委員会の指導を連絡する係となってしまったのです。そして、学校の問題を話し合う場であった職員会議は、単なる連絡の場となってしまったのです。
このような不可思議な状況の中でも私たち三学年職員は、修学旅行・中間テスト・合唱コンクール・進路説明会・期末テスト・三者面談・私立学校との進路相談・受験校決定・入学願書の出願など様々な行事を終えてようやく一月の後半から卒業式について話し合いを始めました。
前年度までは、市旗および日の丸は三脚 ( スタンド ) に立て、舞台正面に生徒の作品を掲げ、舞台上で卒業証書授与を行っていましたが、今年はこのまま押し切って実施すると、管理職の処分も考えられるという ( 教育委員会指導室の校長への脅しがある ) ということを聞いたので管理職の生活のことを考慮し、舞台装飾に関しては市教育委員会指導室の通達通りにするしかないだろうと話し合いました。
そして二月十日の職員会議で卒業式について二つの案が提出されました。三学年の意向をふまえた儀式的委員会からの案と教頭案の二つが提出されました。教頭から、儀式的委員会のメンバーの一人であるにもかかわらず、教頭案が提出されるというのもおかしな話です。教頭案とは、校長案であり、教育委員会指導室の案と言うことになります。ここでは校長が共闘に指図してやらせているようでした。最終的には二月十六日の職員会議でした。
この二つの案の争点は、生徒作品を飾る場所でした。一部卒業証書授与での舞台図については不本意ながら教頭案を了承することになったので、二部お別れのセレモニーの時に『生徒作品を中央に飾りたい。』という私たちや生徒の希望に対して『日の丸が見えなくなるのはダメだ、体育館の壁に貼るならいいだろう。』という教頭案でした。教頭案に賛成する教員は誰一人いませんでした。十人ほどの教員が「生徒のことを考えずに教育委員会や議会のことを考えて卒業式を企画するのはおかしな話であり本末転倒である。」と教頭案に反対する意見をもって訴えたにもかかわらず、結局『教頭案でお願いします。』という校長の一言で職員会議は終わりました。
この『お願いします。』は職務命令と受け止めてほしいという意識が今までになく強く出ていました。この会議でのやりとりの中でも感じたのですが、南大谷中学校を考える校長としての言葉は何一つなく、市教育委員会指導室の通達を実施するためだけの連絡係でありました。『実施できない校長は、管理能力がない。』という指導室の声が頭から離れないのだろうと思いました。
そして卒業式前日は、卒業式の予行と会場準備でした。
例年予行では、時間を節約するために式の流れを説明しポイントポイントを練習する程度で君が代の練習をすることはありませんでしたが、このときは違っていました。国歌斉唱と司会の言葉があり、君が代のテープが流されました。おや、今年はどうしたんだと司会の方を見ました。すると教頭がラジカセで録音していました。何か反対でもすれば記録に残りますよ、とでも言いたげでした。また、校長はこのように君が代の練習をちゃんとやりましたよと、市教委へ報告するための証拠として録音しているようにも見えました。教頭は、私たちを監視する大目付に見えて何だかとてもいやな気分になりました。
予行は終わり、食事の後、会場準備の時間になりましたが、生徒作品が完成していませんでした。とにかく仕上げるまで頑張ろうと言って必死になって作業をしました。夕方五時頃ようやく完成しました。作品が乾くまで三時間はかかるだろうと言うことで生徒を帰すことにしました。生徒たちは、掲げて帰るつもりだったので、とりあえず会場を見て来ようと体育館に行きました。すると、生徒にとって掲げるはずの場所に、日の丸と市旗が貼ってあったので驚いて泣き出す生徒もいました。生徒たちは、私たちに不満をいっぱいぶつけてきました。とにかく先生たちで中央に飾れるようにどうにかするからと言って帰しました。作品はまだ乾いていなかったので美術室に置いたまま職員室の方へ帰ってみると指導課長と指導主事が帰ろうとしていました。簡単なあいさつをして指導課長たちは急いで帰っていきました。卒業式前に何の用だろうと思いましたがすぐにわかりました。町田市内すべての中学校の舞台配置を見て周り通達通りにできてるか監視していたようです。
午後七時になって、体育館で組み立てようと美術室に行ってみると鍵がかかって作品が取り出せない状態になっていました。職員室のキーボックスから鍵を取ろうとしたがボックスの中には鍵がありませんでした。美術室の鍵だけでなく体育館の鍵もありませんでした。驚きました、どうしたんだろうと校長に聞くと「私が持っています。どこに飾るかをはっきりしてくれないと鍵は渡せません。」と言ったので、「組み立ててみないと作品の大きさがはっきりしないしガムテープで大丈夫かもわからないのでとにかく組み立ててからしか返事ができない。」と言ったのですが、素直に空けてもらえず一時間は、すったもんだしていました。正面には飾らないという約束でそれぞれの部屋の鍵をどうにか開けさせました。
体育館で作品のパネルを組み立てている途中に指導主事もやってきました、教頭も指導主事も手伝って組み立ては完了し、試しにバルコニーに掛けてみました。二.四 m ×四.五 m は思ったより大きく豪華に見えました。それで取り敢えず体育館の下手側のバルコニーから吊すことで決定しました。夜の十時三十分ごろでした指導主事は十一時頃帰り管理職も十二時頃には帰りました。私は、卒業式に渡す通知票ができていなかったので学校に残りました。その後、どうしても生徒との約束で中央に飾ってあげたくてもう一人の先生と下手から中央に動くように細工をしました。でも、通達には触れないように日の丸は見えるようにと考えた末の結論でした。しかし、校長が自分の判断で答が出せなくて、指導主事に判断を仰ぐというほど校長の裁量が奪われてしまっていることに驚き、数日前に出された職務命令書のことを思い出しました。正確には三月十五日に南大谷中学校長名で『職務命令書』が出され、各教師に手渡し若しくは机上配布されていました。その内容は、国歌斉唱の際起立することや舞台上には国旗・市旗以外の一切の装飾は行わない等を含んだ東京都及び町田市教育委員会から出された通達そのままを引用して学校長名で出し直したものです。自分の意志を持たない、持たしてもらえない学校長が、人格を持った人間といえるのでしょうか。このままでいくと校長は処分されずに教員だけが処分されるのではとか、通達を違反したら本当に処分されてしまうのではないかという不安がでてきました。
そして卒業式当日です。朝六時半頃校長教頭で体育館を確認しにいったとき、パネルの位置が変わっていることに気が付き、それだけではなくそのパネルがスライドできることにも気付かれてしまいました。早速、七時頃学年主任を呼んで元の位置に戻すことや「式の最中にスライドさせてはならない、一人でやったのか、何故動かしたのか。
などまくし立てたらしいです。学年主任は、黙って聞き流していたようです。卒業制作をした生徒たちも早速体育館を覗いてみたらしく「何であんなとこになったの」と私に向かって怒っていました。申し訳ないがもう少し待ってくれと頼みました。生徒は意味も分からずあきれたようすで去っていきました。
入学式が始まり、第二部へと移りました。舞台上に生徒が上がり合唱の体型用の雛壇を作りました。
その時パネルをスライドさせ始めました。すると校長もしくは指導主事の声で「池田先生やめなさい。」「本藤先生やめなさい。」と叫んでいましたが、よばれた先生は私と一緒に舞台の上で雛壇を作っていました。おかしいこというなと思っていたら、バルコニーでパネルをスライドしている学年主任のことを呼んでいたようです。卒業生の移動と同時にパネルを移動させる演出に歓声がわきました。ゃった ! と思いました。卒業生にはこれで納得してもらえるだろうと思いました。準備終了と同時に第二部がスタートしました。そして一曲目の合唱が始まって間もなくすると中央にすばらしく輝いていた卒業制作が上手の方へ移動し始め中途半端なところで止まってしまいました。教頭の仕業です。
保護者席からは「え ! どうして」というため息が聞こえてきました。歌っている卒業生は、悔しそうな顔をしていましたが気持ちを取り戻して歌を一生懸命歌い上げていました。
この時、紅白幕のうらで校長は、学年主任を捕まえて「どうして動かしたのか。」「何時何分現認します。」と言ったそうです。二部が始まっているにもかかわらずTPOが理解できない非常識な校長とパネルを動かし醜くした非常識な教頭に言いたい、しっかりした人格を持ってほしい。側に指導主事が居ようが、市議会議員が居ようが、校長教頭として自分の学校にもっと責任を持ってほしかった。
卒業生と在校生が退場した後、校長は、来賓や保護者に向かって、「不祥事があってすみませんでした。」と指導主事に促されながら謝罪したそうです。また、その夜に行われた謝恩会に管理職二人とも出席することができなかったようです。
二00三年度の南大谷中学校の卒業式に対して教育委員会からの圧力が強く校長教頭が理性を欠く事態まで起こりました。このような中で本気で都教委は学校の中に日の丸君が代を浸透させようとしていることに気付きました。とても恐ろしくなりました。脅しで社会が動くようになってはいけない。脅しには負けないように教員がしっかりしなければいけないと思い、私は、職務命令が出されましたが、君が代の時には座りました。今までの卒業式・入学式の時の君が代は、式場を出ていましたので開いていませんでした。ところが今年は、式場を出ても職務命令違反となる、といわれていたので式場を出ずに静かに誰にも気付かれないようにしていました。ところが、大目付の教頭と指導主事に見つかり「山下さん立ちなさい。」「立たないと大変なことになりますよ。」「立ちなさい。」「現認しますよ。」「現認しますよ。」「九時五八分現認します 」と教頭と指導主事が交互に声掛けてきました。この時に立たなかった私に対して職務命令違反による処分が来ました。たった一分間座っていただけで社会に対して公務員の信用を汚したことになるのでしょうか。私の意志を貫いたことがそんなに良くないことなのでしょうか。
私にとって『学校教育に日の丸君が代を持ち込まない。』ということが正義なのです。ところが、負けてしまいました。「二度、同じことを繰り返すと懲戒免職もあり得るかもしれない。」という脅しに負けました。二00四年度の甲ノ原中学校の入学式で、私は一年一組の担任として入学式に臨みました。『踏み絵』を踏んでしまいました。今の生活ができなくなる不安から私は君が代の時、立っていました。自分自身が亡くなるような寂しさを感じました。芯が無くなってしまったような、取り返しが付かないことをしてしまったようで何も口にできなくなってしまいそうでした。でもこの不服申し立てをすることで自分自身を回復させたいと思っています。わずか一分間の着席で人生が変わるようなことがあってはならないと思います。憲法と民主主義を大切にする国づくりを公務員が示していきましょう。
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2.山口 洋子 (八王子市立第二中学校) |
私は二00三年度の八王子市立桝田中学校の卒業式において、校長の職務命令に違反して国歌斉唱時に不起立であったとして、東京都教育委員会による戒告処分をうけました。処分説明書には私の行為が、「全体の奉仕者たるにふさわしくない行為であって、教育公務員としての職の信用を傷つけ、職金体の不名誉となるものであり」地方公務員法に違反すると記されていました。私は教育公務員として子どもたちの未来を守るためにとるべき道をとったと確信しておりますが、この処分説明書を読んだときに言葉に尽くしがたい悔しさと、現在の教育行政への深い憤りや気味悪さを感じました。私は、今回の命令と処分こそが国民の命と人権を危険にさらす不名誉な行為であり、全体の奉仕者たるにふさわしくないと考えます。
今日は、「日の丸」・「君が代」の強制にかかわるこつの問−−−卒業パネルをめぐる問題と私自身の不起立の問題について、そして最後にここ数年に激しく進行している教育への管理統制の問題について意見陳述させていただきます。
1. 卒業パネルをめぐって
二OO三年九月三日に職員会議がありました。そのとき校長が配布した職員会議資料の中に、入学式・卒業式等の儀式についてという項目がありました。そこには、八月に多摩教育事務所指導課長が柄田中学校に来校して卒業式・入学式の厳正実施が伝えられ、国旗・国歌と式の内容について次のように職務を遂行するよう命じられたということで、五つの項目が示されていました。これが、私たち職員が見た最初の「命令」でした。式のやり方について事細かに指示する内容を見て、「わが目を疑う」というほどの驚きと、私たち日本国民の未来への不安というか、背筋が寒勺くなるような薄気味悪さを感じました。
その後のことですが、市教委が「八王子市立学校卒業式・入学式対策本部」を設置し、「卒業式及び入学式等の式典における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」ではさらに事細かな指示を記し、ステージ上の配置図までつくっているということを知り、これは許されることではない、こんなことが「指導」の名の下にまかり通るのを許すわけにはいかないという気持ちを強くもちました。
九月三日の職員会議資料にあった五項目には、国旗掲揚、国歌斉唱に関する指摘などのほかに、「装飾は紅白幕を使用し、華美な装飾は慎み、式典として厳正におこなうこと」という項目がありました。私たち職員は「華美な装飾とはなんだろう。」と率直に強い疑問を感じました。桐田中学校でも多くの学校同様に、卒業式では毎年、ステージ上にベニヤ板六枚をつなげた大きなパネルを展示してきました。「華美な装飾」とはこのパネルをさしているのでしょうか。しかし子どもたちの共同制作による作品である卒業パネルを、「華美な装飾」であるとする感覚は、私たちにはどうにも理解できないものでした。「華美な装飾とは卒業パネルをさすのかしらっ?」「生徒がつくる卒業パネルがなぜ華美な装飾になるのだろう ?」職員会議の室内のあちこちでそうした会話がかわされました。
二学期終わりごろの職員会議ではさまざまな論議がありましたが、厳しい情勢だけれども、卒業パネルを制作してステージ上に展示すること、そして卒業式の第二部で対面式になって卒業生の言葉と合唱で式を締めくくること、この二つは桝田中学校の伝統として守っていこうということを確認しました。
しかしパネルの展示方法について悩みました。日の丸、が式の問中ずっと掲揚されていないと校長が処分されることになる、というのです。大変不当なことであると思いましたが仕方なく、私たちは、美術科の教師を中心に学年職員で検討し、結局パネルを二枚に分け、国旗・市旗をはさむようにしてステージ正面の両脇に展示する方法をとることにしました。この方法については管理職も同席している一月の打ち合わせの場で、職員全体で確認してました。
三月の卒業式予行練習の日まで、私たちのこのやり方ででまるものと思っておりました。
子どもたちも新聞報道などにより卒業式の行方を心配していました。パネルが飾れなくなるのではないかと聞きにくる生徒もありましたし、保護者の方々も心配してくださいました。授業のときに「先生、パネル作っても飾れないんじゃないの ? 」と子どもに聞かれ、私は「先生たちも一生懸命考えて、正面の両脇に二つに分けて置くことにしました。例年通り最初から飾れるから大丈夫。みんなで素晴らしい作品にしあげようね。」と話しました。「なんで日の丸が真ん中に来ないといけないの?」「もし日の丸をかざらなかったら校長先生はどうなるの?」「処分ってどう日なること?」といった発言もあり、不満はありながらも、校長先生が処分されたら大変だと心配していることがわかりました。それでも子どもたちはパネルをステージにかざれると一安心し、進路決定の活動と併行して、二月には卒業パネルや合唱の準備活動にとりかかっておりました。
卒業パネルは広島修学旅行を中心に平和学習を積み重ねてきた子どもたちでしたので、一枚は戦争による人間の悲しみや苦しみを、一枚は平和の中でのあらゆる生き物の喜びと幸せを描いたものでした。美術科の先生が指導して、卒業学年の数十名の子供たちの絵を組み合わせた構成図をつくったのです。二百人以上の学生のほぼ全員が筆を入れたすばらしい作品が完成しました。最後の授業に技術科の先生が額縁で囲むように仕上げて下さったのも印象的でした。
ところが三月十六日の夕方に校長が市教委に呼ばれたと聞き、いやなことがなければ良いが、と不安になりました。翌十七日は予行練習でした。朝、校長から、パネルについてクレームがついている旨を聞きましたが、詳しい話は予行後の職員打ち合わせでということになっていました。予行後の打ち合わせで校長から、市教委からの指示として、「パネルの展示は証書授与をおこなう第一部では認められない。パネルの位置を体育館のサイドか後ろに変えるか、第一部の間はかくすか、どちらかにするように。」と伝えられました。私たちは本当にびっくりしました。卒業式を明後日にひかえて何ということを言ってくるのかと思いました。しかし従わなければ校長が処分されることもあり得ると思えば、従わざるを得なかったのです。私たちは市教委、その背後の都教委から繰り返し脅されていたと言っても言い過ぎではない状態でした。
学年職員で検討し、やはり正面に飾ってやりたいということで、パネルの位置は予定通りにして、第一部の聞はス
テージ背景のホリゾントでかくすということにしました。しかしなぜ、生徒の作品をかくさなければならないのでしょう。彼らの一人一人が主役として卒業証書を受け取る場面で、自分たちが制作した作品をかくされなければならない理由を説明できる人がいるのでしょうか。こんな不当なことが許されて良いはずがありません。しかし、納得できないとどんなに憤っても、校長の処分をちらつかされている私たち職員には、どうすることもできませんでした。
三月十八日は最後の卒業式練習でした。子どもたちに展示の変更について事前に説明しておかなければ、卒業式当日に混乱が起こります。拍手で入場してくる子どもたちの前にパネルがなかったら子どもたちは動揺するでしょう。
生徒にとっても、保護者や地域の方々にとっても、そして私たち職員にとっても、深い感動が伝わる素晴らしい卒業式をと、言葉作りや合唱練習に一生懸命取り組んできたものが台無しになってしまいます。一七日の職員打ち合わせで、この前日練習の日にパネルの件について説明することを管理職もふくめて全職員が了解していました。私たちの学年でずっと学年主任をしてくださっていた川越先生が一二月に心臓発作で急逝されたため、その代理を務めていた私が、十八日の練習が始まる時に説明に立ちました。言いたいことはたくさんありました。こんな不当なことがまかり通るのは先生も納得できないよと、子どもたちに真実を伝えたい思いはありました。しかし、うっかりしたことは言えないような雰囲気が教育行政全体に広がっていることが、肌身に泌みて感じられる状況でしたから、私はただ事実を子どもたちに報告することしかできませんでした。「第一部ではパネルはかくさなければならないことになりました。しかし第二部ではパネルをみんなで見ることができます。パネル担当の実行委員が絵の説明をする時間もとりました。だから明日は一部の証書授与ではしっかりと、二部ではパネルを背に最高の合唱をして、すばらしい卒業式をみんなのカでつくりあげましょう。」そんな風にしか話せませんでした。不服をのべに来た子どもたちもいましたが、私は「考え続けていこう。それがあなたの仕事。」としか言えませんでした。
卒業式準備の時間が来ると、真新しい紅白幕が、予算がない、ないと言われている中でどういう予算で準備されたのか、会場全体にはられていきました。「日の丸」がステージにはられました。紅白幕と「日の丸」が、子どもたちの絵の色合いをそこなっていると感じました。しかし、一部ではかくされても、とにかく生徒の作品をステージ上に飾れたのはこの卒業式まででした。 04年度の入学式以降はそれも認められなくなってしまったのです。
ある保護者の方は「懸命に制作した中学仲間との最後の共同作品となる絵が飾られていない式場を、子どもたちはどう感じたでしょうか。入場したときの子どもたちの気持ちを考えると胸がいたみます。」というお便りをくださいました。またある生徒は「絵を飾つてはいけないと知ったとき、とても不思議で、訳、がわからなかった。」と言っています。
このことに関しては、私は市教委による事情聴取の時に質問しました。「生徒の作品である卒業パネルが華美な装飾になるのですか。」という質問に対して、永関室長は「何もない簡素なステージに飾られた国旗を眺める意義」を強調していましたが、私にはまったく説得力が感じられませんでした。さらに室長は、「そんなに飾りたいならほかにイベントでもやったらどうですか。」などと言うので、卒業パネルの意義をまるで解していない様子に私は大変驚きました。しかし、あとで永関室長が美術科の教師であったことを知り、魂を売るというのか、いかに立場があるとはいえ、これまで卒業式のパネル指導の経験もあったにちがいない美術科の教師の言う言葉としてはあまりにも情けないという思いがして深い衝撃を受けました。
また都教委ではメモも認められず、まるで犯罪者扱いのトような事情聴取でしたが、担当の東京都多摩教育事務所持田指導課長に同様の質問をしても、「ここはそういうことを論議する場ではない」と言うのみでした。私は「しかし、現場ではこの華美な装飾を慎み、という指示によって、パネルも飾れなくなり、子どもたちも私たちも大変混乱させられている。」と抗議しましたが、何の責任ある返答も得られませんでした。
「日の丸」・「君が代」の強制には、このような式全体への強権的な介入がともなロているのです。それぞれの学校が長い年月をかけて教職員と子どもたちとで創り上げ、保護者にも支持されてきた優れた卒業式や入学式のやり方に対して、これをひねり潰すように命令と処分をふりかざしているのです。民主的な手続きも、それぞれの学校で温められてきた伝統も、子どもの心も踏みにじる、こうしたやり方に苦痛と憤りを感じます。
二00四年度以降の入学式・卒業式では、「君が代」での起立・斉唱、「日の丸」掲揚の押し付けにとどまらず、生徒の作品をステージから締め出し、おまけに職員の座席表まで作らせて市教委から監視に来る始末です。「国歌斉唱中に気分の悪い生徒が出た場合、そこへ行くのは処分の対象にはならないでしょうね。」などという笑い話のような質疑が、現実に職員会議の中でおこなわれているのです。いったい誰のための教育、誰のための卒業式なのでしょう。このような強権的なやり方はまったく教育の現場にはそぐわないことだと思います。こうした強制をだまって見過ごすわけにはいきません。
2. 社会科教師としてなぜ不起立を選んだか
私は中学校の社会科教師を三十年余りつとめてきました。教育活動を積み重ねる中で私が行き着いた考えは、「命がもっとも大切である」ということです。また、社会科教育の中で生徒が身につけるべき力は、事実を知る力、知った事実に基づいて感じ考える力、そして考えに基づいて判断し行動するカであると考えています。この、知る・考える・判断する力をつけることによって、人は幸せに生きていくことができるのだと思うのです。
人として生まれたからには誰もみな、安心して幸せに人生をまっとうしたいはずです。誰もが、戦争や貧困や不安に脅かされずに生きる権利があるのです。日本国憲法の前文にもそういう指摘がなされています。私たちがこれからつくる歴史は、脅かされずに生きられる人々をいかに粘り強く増やしていくかということだと思います。
しかし現代のように様々な情報が満ち溢れている時代に、私たちが正しい判断をすることは簡単なことではありません。正しい判断とは、つまり一つ一つの場面で自分たちの幸せにつながる方法や生き方を、ごまかされずに選べる力です。
私は 0三年度に卒業していった生徒たちの最後の社会科の授業で、チャップリンの『独裁者』を見せたあとにこんな話をしました。「何が正しいのか判断に因つたときは、命を基準に考えてください。あなたの命も大切。
すぐ隣の人の命も大切。そして地球上の見知らぬところにいる人の命も大切。命の大切さを基準にして物事を考えれば、何が正しいか判断することができるはずです。人は誰も、殺されてはいけないし、殺してはいけないし、殺す練習もしてはいけない。今、憲法九条があぶなくなっているけれども、戦争をしたい人たちにだまされないように、しっかりと判断して生きていってほしい。そのためには、学び続け考え続けることです。」そんなふうに話しました。
私は社会科教師として、一五年戦争についても、限られた時間の中ではありますが、日本の加害の側面と被害の側面の両面を具体的に教えることにカをいれてきました。加害の側面どころか、空襲、沖縄戦、原爆といった被害の側面や、侵略戦争をする国家が自国の国民をどう抑圧するかといった国民生活の被害の側面さえ、日本は十分に教えていない国であると思います。ところが最近は、日本がおこなった侵略戦争について、「侵略ではなかった」というような発言が意識的に繰り返されるだけでなく、ますます言いたい放題の出版物が登場し、首相の靖国神社参拝への開き直り、ついには戦前を思わせるような教科書まで出てきてこれを都教委などが採用するという事態の進展で、異常事態といわなければなりません。かつての日本の侵略戦争を真撃に反省することなく開き直っている勢力が、ウソと強圧的な権力で日本国民をどこへ連れて行こうとしているのかを考えると、ここでストップをかけなければ大変なことになると、私は未来への危倶でいっぱいです。
卒業式・入学式等への「日の丸」・「君が代」の強制もこの流れの中でおこっていることは明白です。憲法九条を守り、命・人権・平和を守りたい、これが私の願いであり私の生き方です。それは子どもたちの幸せとまったく矛盾していません。「教え子を再び戦場に送らない」という戦後の教師たちの誓いが、戦後六0年の現代にこれほど重要で切実な意味を持つようになるとは思っておりませんでした。非常に残念なことですし、これほどのすさまじい情勢に驚いてもいます。私は子どもたちの命と未来に責任を持つ一人の大人の判断として、また教師の責任として、「君が代」の強制に従うわけにはいきませんでした。強制に従うことはこれまでの私の生き方に矛盾し、子どもたちの幸せにも矛盾するものだからです。卒業式を、学校では最後の授業と位置づけています。その最後の授業の場で、私は自分の判断を示すことによって社会科教育の締めくくりをしようと考えました。
それはまた、たった一人の生徒でも大切にして対応するという、私たちの学年職員の三年間の教育実践とも矛盾しないものでした。私たちは、授業に出られないたった一人の生徒のためにも三年間、心と体を使ってきました。
「君が代」斉唱に立つことができない民族的、宗教的事情の生徒はどの学校にいても不思議はありません。たった一人でも立てない生徒がいるかもしれない場面でその生徒が味わう苦痛、強制から生まれる苦痛を、教師も身をもって知る必要があるのではないでしょうか。教育とは、たった一人を大切にする営みだと考えます。だからこそ、命令や強制は教育の場に合わないのです。「一人ぐらいしょうがない」という発想は教育現場にそぐわない考えです。
さらに「君が代」で起立しないのは私の内心の自由です。憲法でも保障されている精神の自由であり、表現の自由です。心の中だけで何を考えるのも自由なのが、本当の自由ではありません。考えたことが表現できてこその自由です。「君が代」では起立しない、歌わないのが私の判断であり、私の自由です。
「君が代」は、私にとっては三つの点で歌う訳にはいかない歌です。一つ自に、日本の侵略戦争は「日の丸」と「君が代」のもとでおこなわれてきたにもかかわらず、その点からの反省が全くなされていません。
二つ自に今、「日の丸」・「君が代」を強制してきでいる勢力は、日本を再び「戦争ができる国」にしようとしている勢力だからです。この流れに協力するわけにはいきません。三つ自に、「君が代」は天皇賛美の歌で、天皇の支配が永久につづくように願う歌詞ですが、私も天皇も一個の同じ人間にすぎません。憲法で平等がしっかりと位置づけられている国民主権の国にあって、天皇賛美の歌は国歌として矛盾しており、適切ではありません。
また、子どもたちにも内心の自由があるわけですが、それを子どもたちに教えず、逆に、生徒が立たなければ教師を処分するとおどすなど、あまりにもひどい現状です。未来をになう子どもたちに人権を教えさせない国の未来は、大変おそろしいと思います。またこうしたおどしによって、どれだけの生徒たちが苦痛と不安を味わわされたことでしょう。あまりにも非教育的であると言わざるを得ません。
3. 教育現場への締め付けや管理統制について
今、教育現場はきびしい管理統制の中にあります。このきびしい締め付けは、「日の丸」・「君が代」の強制と併行する形で、この数年間にすさまじい勢いで進行しています。道徳教育への厳しい管理。基礎学力をつけてやりたくても教科教育の授業時間はけずられる一方で、選択や総合が何時間も押し付けられ、しかも学校の裁量はほとんど認められていません。たとえば読書指導に総合の時間を生かそうとしても正当にカウントされないのが現状です。またその一方で授業時間をけずつてはいけないと、定期テストでさえじっくりできず、採点は教師の徹夜作業が前提になっているようなものです。採点時間が保障されないので、以前は得点の低い子どもたちにも励ましの言葉など書いてやれたのに、それすらできないほどです。間違いなく○付けをして、点数計算を間違えないようにするだけで精一杯です。問題も速く採点できる形にしないと、などと考えざるを得ない状況です。
行事とその準備も、目いっぱい授業をする中でおこなうので、教師も生徒も絶えずいそがしく、落ち着けません。
いろいろな側面からの支援が必要と思われる子どもたちも増え、読む・聞くが苦手な子も多いのですが、授業の中で「わかんなーい」という生徒一人一人に手をかけてやりたくても、四十人学級の現在では非常に困難です。絶対評価のやり方にも、教育的意義があるのだろうかと思うようなあれこれの細かい指示があり、膨大な時間とエネルギーを必要としています。現場には何の相談もなく学カテストをして順位公開をし、学校選択制によって校長を追い立て、また人事考課や主幹制度、差別賃金の導入等々、子どもも保護者も校長も教師も競争にさらされている現状です。特に義務教育の期間は基礎学力をつけ、学ぶカを培う時期ですから、競争的刺激はきわめて非教育的です。教師はあまりの忙しさに子どもと直接的にかかかる時間をどんどん削られています。以前ならばグループ面談や二者面談などを組むこともできたのに、今では少し落ち着いて子どもの悩みをきいてやりたくても時間がないのです。「子どもと一緒にいたくて教師になったのに、忙しすぎてちっとも子どもたちと過ごせません」と嘆いている若い先生もいます。多くの教師は朝早く出勤して夜まで働き、さらに家に仕事を持ち帰っているのです。
学校という人を育てる場が、このようにゆとりを失わされているのでは、子どもたちも落ち着いて学ぶという習慣を身につけにくくなります。教育の場では何よりも人聞が大切にされなければいけないのに、子どもたちも教師も大切にされていないと思います。
いったいこの管理統制や締め付けは誰のためのものなのでしょう。子どものためとはどうしても考えられません。
そしてこの動きと明らかに併行しているのが「日の丸」・君が代」の強制であり、生徒の作品を卒業式のステージから締め出す教育行政の動きです。子どもたちのための伸び伸びとゆとりのある教育を踏みにじり、基礎学力も保障しない教育行政こそ、全体の奉仕者たるにふさわしくない行為であり、職の信用を失墜させているものではないでしょうか。
今、残念ながら学校現場では安心して自由にものを言える雰囲気が少なくなってきています。職員会議での発言も少なくなっています。あまりの忙しさと教育行政に対する無力感のせいでしょうか。
200四年度の入学式・卒業式、そして今年度の入学式と、私もすでに三回も「君が代」で起立しています。耐え難い屈辱と生徒への申し訳なさに苛まれながら、クビにならないために起立しているのです。同じように感じている同僚はたくさんいると思います。まして音楽科の教師は歌唱指導やピアノ伴奏を強制させられているのです。その苦痛はどんなにか深いものでしょう。私も、そうした同僚たちも、教師として働き続け、未来をになう子どもたちを育てる仕事を続けるために、その苦痛に耐えているのです。こんな不当なことは一日も早く改められなければなりません。
もっとも賢明で人間味あふれる場として運営されるべき教育現場に、憲法と教育基本法が一日も早く全面的に保障されるように願ってやみません。子どもたちの未来と命が守られる賢明で公平な審査をお願いいたします。
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3.川崎 寿江 (八王子市立別所中学校)  |
七年前に石川中学校へ赴任してきた私は、三年五組の担任となりました。三年生になって初めて顔をあわせた教師に受け持たれたにもかかわらず、子供たちは嫌がりもせず、体育大会では、「大変身」という種目で、私を魔女に変身させようと企画し、衣装を作り、手順を考え、立派にやり遂げてくれました。
そんな生徒たちと行った修学旅行は、私にとっても初めてのヒロシマでした。一年生のときから平和学習を積み上げ、修学旅行実行委員会には各クラスから何人もの生徒たちが希望して参加し、事前学習、修学旅行当日の行動、事後報告等、さまざまな準備と企画運営に携わってきました。修学旅行当日はグループごとに、被爆者の方々のお話を伺い、原爆記念館をはじめとする様々な場所を班行動で見学しました。私は被爆者の吉川さんのお話を聞くグループに付き添いました。原爆ドームの見える公園に座り、被爆された当時の生々しいお話を伺うなかで、「この広島の町を歩くときは、いたる所、その足元に被爆して亡くなった人の骨があると思ってください。」と言われ、半世紀以上も前の戦争が、今も傷口を開いて、ズキズキと鼓動しだし、今まで他人事のように思っていたことが恥ずかしく思われました。きっと生徒たちも同じように感じたことと思います。今まで何回も修学旅行を引率しましたが、ヒロシマ修学旅行は子供たちが本当に学んでいるな、と実感する修学旅行でした。卒業文集でも何人もの生徒たちが、修学旅行や平和学習のことを書いていました。たえばMさんは、『中学校三年間でいろいろなことを学び、経験することができた。その中で、一番学ぶ事ができて良かったと思うのは、平和学習だった。日本がした事、日本がされた事について深く考えさせられた。-- 中略--また二度とこのような戦争が起きない世界になってほしい。』と書いていました。
三学期になって、その子達が取りくんだ卒業式も私にとっては初めての形式の卒業式でした。たくさんの希望者からなる卒業式実行委員会は、装飾係りと別れのことばの係りに分かれ、それぞれに考えをまとめ、製作にかかりました。私は装飾係りに付いて生徒たちの卒業制作を見守りました。装飾係りは、未来へと続く階段の上の一扉が少しだけ開いてそこから光がさしている構図を描きました。その絵は八枚のベニヤ板を合わせた上に描かれ、舞台中央に飾られました。生徒たちはその絵をバックにして全員が舞台に上がり、すばらしい合唱を混ぜた別れの言葉を、誇らしげに述べて会場を感動の渦に包みました。
ただそこに至るまでには、お定まりのごとく、「日の丸・君が代」問題が職員会議で出され、討論されました。卒業式要綱の原案には「日の丸・君が代」はなく、校長が対案を出し、対案は否決されたにもかかわらず、校長のお願いと言う形で残されました。
平和教育の中で、戦争中の「日の丸」の役割を知り、「君が代」の歌詞に疑問をもつ子供たちは校長室に「君が代を会場に流さないでほしい。」と何回もお願いに行っていました。もちろん学年職員も、ニ〜三人づつ変わりばんこに校長と話をしに行きました。結局、「君が代」は三年生の入場前に、会場に流すことになり、日の丸は三年生が入場したあと、屋上のポールに上げ、退場前に降ろす、と言うことになりました。三年生の目や耳に触れないように気をつかったわけです。
あれから七年が経つうちに、「日の丸・君が代」はだんだんに卒業式に入り込み、次第に強制味を帯びてきて、二00四年にはついに、生徒の作品を舞台から追い出し、君が代斉唱時に立たなかった者は処分し、生徒の声の大きさまで規制するようになってきました。
七年前のあの頃、ほとんどの学校では、毎年のように卒業式の実施要項について職員会議で話し合いがもたれていました。生徒が主人公となり、卒業生の最後の授業になるような感動に満ちた卒業式をしたいという思いは生徒も職員も共通です。厳粛な「式」として行なおうと言う人もいれば、主人公である生徒が活躍し、準備にも大いに携わっていった方がよいと言う人もいます。それぞれの学校で意見を調節しながら、その学校にふさわしい、独自の卒業式が行なわれてきたと思います。そういう過程や、集大成されてきたものを一切無視して、「君が代はピアノ伴奏付きで必ず歌わなければらない、日の丸は舞台正面に飾らなければならない、校長はそういう職務命令を出さなければならない、それに違反したものは処分する。」と二00三年の秋に、都が一方的に通達を出してきました。
その通達を目にした時、教育の場にこんな強制がまかり通っていくことに強い危倶を覚えました。戦前の軍国主義教育を反省し、民主教育を進めてきた戦後の教育の中で、大きく逆戻りして、戦前の軍国主義教育にも匹敵するほどの内容の通達ではありませんか。「教え子を再び戦場へ送らない」という言葉を当然と思って教員生活を続けてきた私にとって、このまま流されていけば、戦前の教師と同じ過ちを繰り返すことになるという思いが強く胸を打ちました。
しかしながら、あき時間もあまりなく、休息休憩もほとんど取れないようなきつい勤務体系に変わってきている現状の中でどう動けばいいのかもわからず、考える時間さえ奪われて何も出来ないまま時間が過ぎていきました。
二00三年のこの年、私は三年生の担任で、また卒業式を考える時期になりました。
二00四年一月、儀式委員会は都の通達を受けて、石川中としては初めて卒業式要項の原案に日の丸・君が代をいれて出してきました。職員会議では反対意見と対案が出されましたが、多数決で原案が通り、卒業式の準備が動き出しました。
三年職員の学年会では舞台正面に日の丸は貼っても生徒たちの作品も何とか生かしてあげようと考え、結局舞台の両脇に卒業制作を二つに分けて飾ろうということになりました。
私はまた、装飾係りに付いてほかの二人の先生とともに生徒を指導することになりました。卒業制作を担当した実行委員の生徒たちに、「今年は絵を舞台正面に飾れないので二枚に分けて舞台の両脇に飾ることになった。」と説明しました。
いままで舞台正面に飾られた絵を見ている生徒たちが「えっどうしてなの ? 」と聞くので、「市の通達で舞台正面には日の丸と市旗を飾ることになったのよ。」と説明すると「そんなのより私たちの絵のほうがいいのに。今までのように正面に飾れるように校長先生にお願いしてよ。」と言われました。「校長先生の話では、保護者の中にも通達のようにすることを望んでいる方がいるというので、無理だと思います。」と説得すると、生徒たちは「そんなの少しでしょ、お母さんたち全員にアンケートを取ってみればいいのに。」と言い返してきました。
校長は常日頃から「この学校はにらまれているから、通達どおりにやらないと、どんな攻撃がかけられるかわからない。学校教育がますますやりにくくなるから、そこを考えてください。」と言っていました。教員も年々きつくなる勤務にふうふう言っている状態なので、もっと締め付けがくると言う言葉には弱く、ついつい妥協してしまうことになります。私も、生徒の言葉を校長に伝えても無駄だという思いが強く、結局校長には言わないまま卒業制作を開始しました。でも、舞台正面から生徒たちの絵が脇によけられたのは、石川中では初めての事ですし、生徒たちの希望を入れられないということに、「子供たちに悪い」という思いが強く、いつまでも心にくすぶり続けていました。
二00四年三月十七日に卒業式の予行がありました。前年までの予行にはなかった「君が代」が突然流れ、私は思わず座ってしまいました。予行練習後の反省会で校長が全職員に「式当日の国歌斉唱のときはぜひお立ち下さい。」と言っていましたので、三月十九日の卒業式では私も起立しました。でも歌わずに下を向いている事が惨めで、生徒たちに何もして上げられなかった申し訳なさの上に、自分の信念までまげて立っているという事に非常に屈辱的な思いを味わいました。
・ こんな屈辱は二度と味わいたくない。
・ 憲法で保障されているはずの内心の自由を強制的に踏みにじられて黙っているのでは、今まで卒業させてきた生徒たちにも顔向けできない。
・ 子供たちの願いを退け、教育の中に強引に割り込んできた強制を黙って見過ごすことは自分にはできない、大きな歴史の流れの中で、自分がどういう立場をとったか、後で後悔することのないように行動したい。
そんな思いがふつふつと胸にたぎりながら、非力な自分にできることといったら、せめて入学式の君が代の時に座っていることで、ささやかな抵抗を試みるくらいしかありませんでした。前年度の周年行事や卒業式で起立しなかった先生たちが、次々と処分を受け、再雇用が決まっていた先生が不採用になるなどの事態が報じられ、本当に処分されていることが明らかになったとき、私も処分される側に立つことで自分の意思を表明したいと思いました。
二00四年四月七日の入学式の不起立で当日校長室に呼ばれた時、校長は「先生を信頼していたのに残念だ。」と言いました。私は「そういう、校長の意思に従う者、という意味の信頼ではなく、生徒への責任をとる人間という点で信頼してほしいものです。」と言うような内容で答えました。翌日には市教委への呼び出し、一週間後には都教委への呼び出しがありました。なんと迅速な対処でしょう !
石川中ではこの年の人事異動で欠員が生じ、定員に一名足りないまま新年度が発足し、一年間、講師対応のままでした。しかも秋には、三年担任の先生が急逝され、それも講師対応のままでしたし、二月には一年担任の先生が体調不良で休職され、結局正規の定員には三名もたりない状態で三月を終えたのです。こういう大事なところへは迅速な対応がとれずにいて、日の丸・君が代については、式当日のみならず、予行練習にまで監視の職員を向けるというのはどういうことなのでしょうか ?そんなに人手が余っているのなら、生徒の利害に直接関係する普段の授業や校務に携わる定員を満たすことに、もっと努力してもらいたいものです。
私は自分の不起立をもっと公にして、今教育の現場に起きている事態を広く世間に問いたいと思い、朝日新聞への投書を試みました。五月九日の「こえ」欄に投書が載ると、友人や知人、果ては知らない人からまで励ましや共感の手紙や電話やメールが届き、たくさんの人達が私と同じ思いをしているのだと言うことを知りました。
五月二十三日、東京都教育委員会から戒告処分の発令を受けました。処分状には私の不起立は、「地方公務員としての職の信用を傷つけ、職全体の不名誉となるものであり、同法第三三条に違反する。」という文言、がありました。
私は教職に付いているという責任を果たすため、生徒の信頼を裏切らないためにこそ座ったのであり、自分の行為が「職の信用を傷つけたり、職全体の不名誉となるもの」とは決して思つてはいません。初めは不起立を通すだけでいいと思つていたのですが、この文言には納得がいかず、不服申請をすることにしました。
じわりじわりと押し寄せる教育の右傾化と、教育現場への不当な介入、強制を明らかにして、少しでも食い止めるカに加担できるなら幸いだと思っています。 |